徳藏院

真言宗豊山派日暮山医王寺徳藏院のサイト

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「お知らせ」に関する記事

信海大僧正

徳藏院前住職、信海大僧正が富士山へ巡礼した際の写真です。30年前、寺の地袋より発見、変色・キズなど修整してようやく甦りました。

その後、富士山は世界遺産になり、したがってこの写真は非常に貴重な写真になりました。きしくも、来年は信海大僧正の33回忌にあたります。

 

 

 

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節分会のお知らせ

2月3日 15:30~

毎年恒例の節分会を開催いたします。皆々様と共に厄をはらい、年越しの祈願をいたしましょう。
本堂では大般若経転読(てんどく)の法要が行われます。
この法要は、三蔵法師が天竺(てんじく)から持ち帰った600巻の大般若経の教本を一巻一巻広げ流し読むものです。
興味をもたれた方はどうぞ一度ご参加下さい。

松戸七福神めぐり

松戸七福神初詣は松戸七福神へ
かど松の戸をあけ福を持ち帰る!
めでたい松戸七福神めぐり

七福神のお守り

Shichifukujin charms and Kakejiku scrolls

七福神のご神体

御朱印の掛け軸

原 画    難波淳郎

摺り元 谷中「いせ辰」

御朱印

Sealed with printing reproduced from Kobo-Daishi’s proven handwriting

松戸七福神七ヶ寺では御朱印を受ける色紙をご用意しています。
参拝の記念にお求めになられては如何でしょうか?

松戸七福神の御朱印

御朱印とは?

寺社に参詣した折りに祈願浄書した経文を神仏に奉納して、御本尊の名号等を墨書した「宝印」をいただく事を「御納経」と言います。
当時は自らが写経した経文を奉納する習慣でした。

この習慣が簡略され参詣の”証”として御判を頂くようになったのが「御朱印」の始まりです。
中世の頃「諸国霊場巡り」が盛んになり、巡礼信仰と結びつきこの習慣が定着していったようです。

現在では、参拝の記念として「御朱印」をいただき、お守りの代わりにする方が増えています。

松戸七福神 七ヶ寺紹介

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千葉県松戸市日暮5-270 電話047(383)1093

 当山は正式には日暮山医王寺徳藏院と言います。寺伝によると十五世紀初期の頃、下総の国分寺の末寺として創建されたと伝えられていますが、幾度の火災により焼失し、詳しいことは不明です。
前住職信海大僧正が入山するまで長いこと無住の荒れ寺でしたが、信海大僧正の努力により現在では四季折々境内には花が咲き乱れ、松戸ではめずらしく山寺の趣きを残しています。
ご本尊は慈母観世音菩薩で子育観音として親しまれ、虫封じの方のお参りが多い。

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jyuroujin【寿老人】
寿老人は寿老神と書く人もいます。長寿の神様で、老子の化身の神とも言われています。長命、富財、与宝、諸病平癒の神でもあります。人々の安全と健康を守ります。

 

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千葉県松戸市千駄堀735 電話047(341)6679

御本尊・・・阿弥陀如来 縁起・・・当時は土高山空照院圓能寺と称し、今から約五百五十年 前、室町時代文安四年二月(一四四七年)尊祐上人によって開山されたと伝えられて居りますが応永二年(一三九五)、天文二年二月(一五三三)と記されたキ リク字の板碑が二枚あります。●延宝五年五月(一六七七)長廣和尚法流開山●元禄十六年七月(一七〇二)盛範和尚両祖大師尊像造立●正徳二年七月(一七一 二)降光和尚本堂建立、又享保六年(一七二一)虚空蔵堂建立、同十八年(一七三三)大六天様勧請●天文三年三月(一七三八)勝快和尚観音堂建立(昭和四十 八年、老朽し、維持困難につき惜しくも解体)●寛延四年二月(一七五二)清法尼涅槃図求め什物とす。又、享和三年(一八〇二)付、句額は市内最古のもので す。

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fukurokuju【福禄寿】
福禄寿は中国の神様で、人名と言うより、中国道教の理想である幸福、俸禄の意味をもち南極老人星の化現として現れた神とされています。(大望、長命)

 

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千葉県松戸市幸田1-129 電話047(342)4028

  華厳寺(通称火防の寺)
法峯山・地蔵院・華厳寺と言う。
寺伝によると、当山御本尊地蔵菩薩は、今を去る七百余年前に出水の時、幸田川に流れ、幸田の村(里)人がこれを引き揚げて、当地に安置し爾来、火防の地蔵尊として、霊験灼々として当地には全く火防事故がなく、火防の寺と言われ、今日に至っている。
毎年二月二十四日は火防護摩の大祭が行われている。
(JR線北小金下車)北口
バス幸田行 浅間公園又は幸田貝塚下車

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benzaiten【弁財天】
弁財天は七福神の中で唯一の女神です。愛敬を示し、音楽、弁舌才智、水の神、芸術の神として、古来日本では、市来姫(いちきしひめ)と同一神として信仰されています。

 

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千葉県松戸市中金杉4-189 電話047(341)0728

 抑も医王寺本尊は中古寛永の頃、遠く越後国より一法師不動明王を供奉して来訪、郷党挙げて渇 仰帰依、永く当地に奉祠せんことを賛う。偶々我祖高木治右衛門吉久、法号常宥、殊に崇敬篤く、その持地、道六神即ち現在の境内地を寄進して、一字を建立当 部落の護持仏として安置、爾来法燈連綿幾多の奇瑞霊験を排し今日に及びたり。
当不動尊は古来より「田螺不動」「姿見不動」と伝われその由来は越後国新発田在須谷寺に発しており昭和六十一年六月、遠く菅谷寺尋ねその古文書よりその 淵源を極めることが出来た時恰も弘法大師一千五百年御遠忌にあたり当医王寺の沿革にあらたなる一頁を加えたことは誠に画期的と言うべきである。
(JR線北小金駅下車)北口
バス幸田行 区画整理記念館

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bisyamon【毘沙門天】
毘沙門天は印度の神様で、多聞天とも言われ仏教四天王の一人です。左手の塔は八万四千の法蔵、十二部経の文義を具し、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝をさずけると言います。

 

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千葉県松戸市旭町2-419 電話047(341)4917

 寛永六年(一六二九年)法印良慶和尚の開基による。
爾来、家内安全、五穀豊穣を叶える祈願寺として、広く旧六カ村(源六和地区)の尊崇を集めている。又、遅くとも寛文年間(一六六一~一六七三)には、減罪の歴史も始まっていたと推定される。
本堂内には、本尊不動明王、内仏聖観音が、宮殿仏閣には伝承の本尊飯縄不動尊が、今も古文書にあるとおり白狐を踏まえて安置されている。又、当山には起 源二~三世紀頃の印度ガンダーラ仏も勧請されている。境内には、大師堂に宗祖弘法大師御影、本堂前に子育て観音が安置されている。

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ebisu【恵比須神】
恵比須神はイザナギノミコトの第三子恵比須尊とも言い大国主命の御子とも伝えられています。(清廉、漁業、商売繁盛、交易)の神様と言われ、エビス顔と言われるように尊顔です。

 

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千葉県松戸市上矢切1197 電話047  (362) 4917

当院は通称宝蔵院、正式には光明山宝蔵院真言寺と呼びます。創立に関する由緒などは不詳です が、古いもので、石碑に慶長十四年と刻まれたものがあります。大日如来を本尊とし、境内には大黒天(松戸七福神)をはじめ、不動堂、仁王尊像、子育出世地 蔵、いぼとり地蔵、六地蔵、戦没戦災慰霊塔などが祀られています。
下総国四郡新四国弘法大師八十八カ所の第六十二番礼所であり、松戸二十一カ所霊場九番札所になっています。
一月一日には元朝護摩を行い、二月節分会には、祈祷大護摩を行います。
松戸駅より”矢切高校行き”のバスに乗り約十分ほどで宝蔵院前で下車です。大いちょうが目印です。近くに江戸川が流れ川向こうはすぐ都内が広がっております。”矢切の渡し”も近くにあります。

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daikokuten【大黒天】
大黒天は印度の神様で裕福を示し、有徳、財宝、闘戦の神様で、二俵の米俵に立ち糧食を司る神様です。

 

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千葉県松戸市松戸1857 電話047(362)4823

 真言宗豊山派 松戸山 善照寺
開山開基は不詳であるが、住古は松戸向山(相模台)にあったのを中興の祖祐義和尚(寛永八年一月二日遷化78歳、一六三一年)に水戸街道沿いの現在地に移転した。
本尊は聖観世音菩薩で恵心僧都の作と伝えられています。下総三十三観音第十九番、東三十三観音第十三番霊場になって居ります。正面は不動堂で不動尊をお まつりしています。縁日は二十七日です。正・五・九月には護摩修行していますが、正月二十七日には大護摩修行を致します。

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hoteison【布袋尊】
布袋尊は中国五代聖人の一人である弥勒菩薩の化身とも言われ、大量を表現し、堪忍と和合を教えてくれる神様です。同像は広く親しまれ、崇敬されています。